【日本経済新聞 2019年5月16日(木)朝刊P.36 文化面】

文化

古楽ピアノ、響き今に

◇150年以上前の楽器演奏 作品生まれた時代の音再現◇

小倉 貴久子

 

 ピアノというと、多くの方は黒く重厚なグランドピアノの姿を思い浮かべるだろう。だが私が主に弾くのはそれよりはずっとこじんまりとした「フォルテピアノ」だ。150〜250年ほど前の時代のピアノである。

 私が古楽器を始めた30年ほど前はフォルテピアノを弾く演奏家はまだ多くはなかった。だが最近は作品が生まれた時代の楽器を使って演奏する「ピリオド奏法」が盛んになりつつある。当時の人々が聴いていたのと同じ響きを、いま聴くことができるのだ。私はフォルテピアノを弾きながら、聴いてくださる方々に新鮮な音楽体験をしてもらいたいと思っている。

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 目からうろこの演奏

 かくいう私もはじめからこの楽器を知っていたわけではない。東京芸大大学院を休学して、1991年にオランダのアムステルダム音楽院に留学するまで、そんな楽器のことなどよく知らない普通のピアノ科の学生だった。当時はストラヴィンスキーなど20世紀の作品をバリバリ弾いていたから、およそ縁遠い世界だったのだ。

 そんな私がピリオド奏法の魅力にとりつかれたのは91年、オランダのチェンバロ奏者グスタフ・レオンハルトのリサイタルを聴いたのがきっかけだった。このとき彼の演奏の表現力、繊細な音色に目からうろこが落ちる思いをしたことを覚えている。

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 明快で温かな音が特徴

 オランダには当時、アンナー・ビルスマ、フランス・ブリュッヘンら古楽界の重鎮たちが集まっていた。古楽の可能性を探求しようとする機運に触れるうちに興味が募り、自分でもチェンバロやフォルテピアノを弾き始めた。

 木だけでできているフォルテピアノは言葉を話すような明快な音が特徴だ。倍音豊かで温かい音色には、えもいえぬ味わいがある。金属フレームが使われ、音を増幅する機構を持つ現代ピアノに比べると音量ははるかに小さいが、パワーに頼らない表現方法があり、歌うような感覚で弾くと、多彩な感情をつぶさに表すことができる。

 93年、ブルージュ国際古楽コンクールに出場予定だった友人のピアノトリオで、フォルテピアノ奏者が降板することになり、急きょ私に声がかかった。専門の奏者ではないので迷ったが、これもチャンスと思い1カ月間猛特訓して出場。驚きの第1位をいただいた。

 帰国後、モーツァルトやベートーヴェンがウィーンで愛用していた「ヴァルター」というフォルテピアノを購入し、本格的に勉強を始めた。95年にブルージュのコンクールに再び挑み、フォルテピアノのソロ部門で第1位を得た。フォルテピアノ奏者としての活動が本格的に始まった。

 以来、様々なシリーズ公演に取り組んできた。17〜18世紀にフィレンツェで活躍した楽器製作家で、ピアノの発明者であるクリストーフォリの楽器を使ったり、古典派のみならず、ショパンやドビュッシーなどの公演や録音を手掛けたりと、活動の幅を広げてきた。

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 聴き比べで楽しませ

 2012年からは東京オペラシティ(東京・新宿)の近江楽堂で新趣向のコンサートに力を入れている。フォルテピアノの時代の作曲家であるモーツァルトの部屋に「ゲスト作曲家」が訪問するという設定で、モーツァルトとゲストの作品を交互に聴き比べてもらうお話付きのコンサートだ。曲目や編成もソロ、室内楽、歌曲などバラエティーを出している。

 ウィーンで名声高かったコジェルフ、英国で活躍したイタリア人のクレメンティ、モーツァルトの弟子のエーベルル、宮廷作曲家で奏者としても卓越した技量を持っていたヴァーゲンザイル・・・そんな作曲家たちを紹介しながら、200曲以上の埋もれた作品を取り上げた。

 シリーズは残り3回。12月に第一生命ホール(東京・中央)で第40回を迎え、最終回となる。掉尾を飾るゲスト作曲家には、モーツァルトの精神を受け継いだベートーヴェンを選んだ。

 子供たちにも知ってもらおうと、さいたま市でイベントも開き、小中学生が楽器に触れる機会も作っている。フォルテピアノの魅力を多くの方にお伝えできたらうれしい。(おぐら・きくこ=フォルテピアノ奏者)