ピアニストが見たベートーヴェンの素顔(2)

モーツァルトへのオマージュ

2001年4月号掲載(雑誌カンパネラ)

 ウィーンへ旅立つベートーヴェンに、ボンの友人たちは記念帳をしたためました。ウィーン行きを推したヴァルトシュタイン伯爵は、「たゆみなき精進をささえに、ハイドンの手からモーツァルトの魂を受け取りたまえ」と書いています。モーツァルトはベートーヴェンにとって小さい頃からの憧れの的でした。若い頃は作曲の規範の多くをモーツァルトに求めていて、14歳の折りに作曲した「3つのクラヴィーア四重奏曲WoO36」は、モーツァルトのヴァイオリンソナタK.296、K.373a、374fがモデルとなって生まれるなど具体的な影響がみてとれます。

 ウィーンへ移り住んだ後も、モーツァルトのオペラから人気のあるアリアを元に変奏曲を作曲したり、モーツァルトの特異な編成の作品「ピアノとオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための五重奏曲変ホ長調K.452」にならって同じ編成、同じ調性の、モーツァルトへのオマージュといえるような曲「作品16」を書いています。

 ベートーヴェンはシンフォニーを手掛けるよりもずっと早い時期、ボン時代からピアノ協奏曲の構想を練っていました。モーツァルトがウィーンで予約演奏会(アカデミーとも呼ばれる)を開催し華々しく活躍をしているのを聞き、そんなモーツァルトの活動を追う自分の姿を想像しながら、これらピアノ協奏曲の作曲を進めていたのではないでしょうか。

 このようにモーツァルトに憧れのような感情を抱いていたベートーヴェンですが、片や当時ウィーンで流行の、モーツァルトを表面的になぞったような、上辺の心地よさを追求した風潮には厳しい批判の目を向けていました。

 ベートーヴェンが作曲家としてのデビューを意味する作品1を出版したのは24歳の時。ベートーヴェンほどの巨匠がこの年までデビューを控えていたのは、自分がそれまでに成さねばならないこと、その目標を成就させるために必要な事柄を吸収し血肉とするための時間について厳しく見積もっていたことを意味します。モーツァルトやハイドンのただならぬ実力を誰よりも深く理解していた彼にとって、デビューは容易なことではなかったのです。

 また、ひとつの作品を生み出すために全労力を捧げるベートーヴェンの態度は、それまでの一晩で泡と消える機会音楽が量産された時代との決別を意味しました。音楽家が真の芸術家になってゆく規範を後の世代に対して示したのです。

 さて、モーツァルトの作品は長調が圧倒的に多いのですが、ベートーヴェンはドラマティックな表情をもつ短調の楽曲に大いに惹かれたようです。ニ短調のピアノ協奏曲K.466がお気に入りだったという話は有名です。ベートーヴェンはこの作品のカデンツァを作曲しています。ハ短調のピアノソナタK.457と、同じ調性のベートーヴェンのソナタ作品10-1とは非常に似通った動機と構造から成っています。拍子こそ違いますが、冒頭の主和音を駆け上がる様と、それに弱音で呼応するやり方(譜例参照)。展開部の入りで双方ともハ長調に転じた冒頭動機を示すところなど、あからさまとも言えるほどこの両作品には共通点が見られます。これらの他にピアノ四重奏曲ト短調K.478、第1楽章の劇的なコーダを持つ緻密なソナタ形式などをあげることができるでしょう。

 ベートーヴェンは自身の芸術に確固たる自信をもっていましたが、傲慢になることは生涯ありませんでした。先人の偉大なる作品に対しては終始謙虚な態度で接していたのです。名声が確立した後半生に入ってからも、熱心にパレストリーナやJ.S.バッハなどを研究し、それを自分のものと消化し新しいスタイルを開拓してゆきました。

 デビュー前の基礎固め、その後の探求心を持ち続ける姿勢。私たちが生きる上においても重要なことをベートーヴェンは教えてくれているように思います。

[譜例1]W.A.モーツァルト/ピアノソナタ ハ短調 K.457 第1楽章 (Henle版より)

 

[譜例2]ピアノソナタ ハ短調 作品10-1 第1楽章 (Henle版より)