ピアニストが見たベートーヴェンの素顔(5)

厳格性を秘めたロマンティスト

2001年10月号掲載(雑誌カンパネラ)

 中音から低音にかけて密集和音の強奏で始まる「悲愴ソナタ」。減7和音を多用するなど悲愴感を漂わせるロマンティックな作品です。グラーヴェと指示される序奏部[譜例参照]は、アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオのアッラ・ブレーヴェ(2/2拍子)の主部と対比されるように要所に顔を出します。

 この「悲愴ソナタ」の第1楽章の様式は、バロック時代に人気のあった「フランス風序曲」をモデルにしています。「フランス風序曲」とは太陽王ルイ14世に仕えていたバレー音楽の作曲家J.B.リュリが開発したもので、付点リズムを多用した遅い部分とアッラ・ブレーヴェの早い部分から成っています。ヘンデルのオラトリオ「メサイア」の序曲やJ.S.バッハの管弦楽組曲の各序曲に採用されているのでよく知られています。

 遅い部分の付点音型は、短い音符を記譜よりもさらに後ろに詰めて短く演奏する習慣がありました。ベートーヴェンが32分音符で記譜している通りです。そして、この32分音符は次の主拍とははっきりと切られなければなりません。[譜例]に弦楽器の弓使いを記しましたがニュアンスを理解していただけることと思います。

 作曲様式においてベートーヴェンが同時代の他の作曲家と区別される理由のひとつに、対位法を重要視していることを上げることができます。

 1750年に亡くなったJ.S.バッハの晩年は、周囲から「フーガ(対位法)に固執する時代遅れの作曲家」と見られていたように、18世紀は伴奏と旋律の役割が分担された明快な古典派様式が台頭してきた時代です。さらに時代が進むとウィーンでは宰相メッテルニヒ体制の中、「今日の生活さえ楽しけりゃ」という近視眼的ないわゆるビーダーマイヤー的小市民が増えるに伴って、音楽にも甘美な旋律と表面的なヴィルトゥオーゾ性が求められるようになります。難しい音楽が益々敬遠されゆく、こういった世の中にベートーヴェンが生きていたのです。

 対位法というのは旋律が絡みあう複雑な音楽です。ベートーヴェンは音楽に普遍性を与えるために対位法がいかに重要かということを早い段階から認識していました。ボン時代には通奏低音をものにし、ウィーンでは対位法の大家といわれていたアルブレヒツベルガーに師事しています。ヴァイオリンソナタ第6番作品30-1の変奏楽章には、このときの対位法学習帳から、ほとんどそのままの引用が見られることなどから察しても、アルブレヒツベルガーとの学習がベートーヴェンにとってとても意義のあったことを窺い知ることができます。また、1801年にJ.S.バッハの鍵盤音楽全集が刊行されるとベートーヴェンは直ちにその全集の予約を入れています。

 対位法の研究は晩年まで続き、弦楽四重奏曲「大フーガ」や、ピアノソナタ第31番作品110の終楽章に結実しています。

 先に引用した「悲愴ソナタ」のグラーヴェの部分を例にとっても、[譜例]に掲げた部分をスラーで歌うように演奏するピアニストもいます。しかし、バロック時代からの伝統の流れの中に生きる厳しい側面をもったベートーヴェンの視点を私はここに感じます。

 このようにバロック時代からの伝統の中に息づく対位法や諸様式を学ぶ努力を怠らなかったベートーヴェンですが、片や周知の通り、彼は人間的に大変なロマンティストで、ロマン派音楽への道を切り開いた張本人でもあります。伝統と革新とのバランス感覚が秀でていて、彼の中で見事にミックスされ昇華されています。そこが同時代に活躍していたフンメルに代表されるような、サロンでもてはやされていた甘美さと技巧をひけらかすだけの多くのピアニストとは一線を画しているところでしょう。

 最初は一本の旋律から始まるものが声部を重ねながら短縮形、拡大形、反行などにより緊張感が高まり、次第に頂点に達する過程で人間のもつ情感など諸々を昇華させる高揚感が生まれてくるベートーヴェンのフーガの楽曲には、究極の芸術的ロマンティシズムを感じます。小手先の技術だけでは書けない普遍性がそこには備わっています。

[譜例]クラヴィーアソナタ 作品13 ハ短調 第1楽章「悲愴」