【雑誌《ショパン》2009年11月号】寄稿文

 

特集1 インド、寛容なる大地の音楽と文化

 

インド哲学からの引用が日記に多数残る

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)

執筆:小倉貴久子・ピアニスト

 

インド哲学からの引用が日記に

 中学生のとき、ピアノを演奏する上での体の使い方や精神のコントロールの仕方を探し求めていて出会ったのが、ヨーガでした。ヨーガというのはポーズの形そのものが重要なのではなく、そのポーズを通して自分の肉体と対話し、内面の自己と向き合うためのものです。その後、ヨーガを産んだインドも憧れの国となり、そこにお釈迦さま以前から伝わるアーユルヴェーダがあることを知りました。

 アーユルヴェーダは最近日本でもよく知られるようになりましたが、主に美容、健康サイドに視線が集まっているように感じます。それはアーユルヴェーダのほんの一部の要素にすぎず、元はインドの太古から伝わる「生命の科学」を説いたものです。自己の中に宇宙があるということに気づく。その気づきが、真我(アートマン)であり、この自己の真我と宇宙の叡智(ブラフマン)がひとつになることが人間の本来の姿であるということ。純粋な静寂の体験により宇宙と合一する自己を目指すことを説くアーユルヴェーダの教えは、インドで5千年もの昔から伝えられてきたのです。このようなインドの教えに、敬愛するベートーヴェンも傾倒していたと知ったとき、驚きと喜びと「やはりそうだったのか!」と合点する想いが交差しました。

 ベートーヴェンの音楽に私たちが惹きつけられる最大の理由は、彼の音楽が全人類への「ボジティブなメッセージ」に満ちているからではないでしょうか。音楽の神から与えられた天賦の才能に加え、少年時代からの努力、忍耐、耳の病気、人間関係など、人生のさまざまな苦楽から養われた人間性が、すばらしい音楽を生みだしていきました。そしてそこには、ベートーヴェンを支えたさまざまな哲学、東洋思想があったのです。「人はいかに生きるべきか」このテーマを追求したベートーヴェンは、音楽にそれを注入したのです。

 インドの二大叙事詩『マハーバーラタ』に含まれる行動哲学書『バガヴァッド・ギーター』は、宇宙の根源的啓示が示されており、物質世界に対する執着心を手放し、ブラフマンに帰依する大切さを説いた『神の歌』と訳される叙事詩です。「主人公アルジュナが、戦いの場面で親族や人々を殺す行為に疑問を感じ、親友のクリシュナ(実は最高神の化身)によって、本当の自分を追求していく道を知る」という人間としての生き方を示した、ヒンドゥー教が世界に誇る聖典です。2千年にわたり読まれてきたこの聖典は、1785年に英訳が出版され、以来ヨーロッパ中に急速に広まりました。プロイセンの宰相フンボルトやシュレーゲル兄弟、アルベール・カミュなど多くの知識人、文学者に影響を与えました。その読者の中にベートーヴェンがいたのです。

 1812年から6年間、ベートーヴェンはいろいろな書物からの言葉や、出来事をメモのように書き留めた日記をつけています。その中に、『バガヴァッド・ギーター』や『リグ・ヴェーダ』『ブラーフマニズムの宗教体系』などインド哲学の書物からの引用や、インドの音階が書き留められているのが目を引きます。

 こちらは1815年頃、ベートーヴェンが『バガヴァッド・ギーター』から引用したものです。

 動機は、結果の中にではなく、行為の中に委ねよ。行為への原動力を、目当ての報酬とするような者にはなるなかれ。汝の人生を無為に過ごすなかれ。活動的であれ、そして汝の義務を果たし、結果について考えるのをいっさい止めよ。それが善い結果をもたらそうと悪い結果をもたらそうと、「汝にはどうでもよいものであれ」。というのもそのような平静さは、「ヨーガ(Yog)」、すなわち霊的なものへの注視とよばれているからである。....そして叡智の中にのみ避難所を求めよ。なぜなら悲惨と不幸は、物事の結果によるものにすぎないからだ。まことの賢者は、この世の善悪に思いわざらうことはない。それゆえ、汝の理性をこのように使う術を習得すべく努めよ。なぜならこのような使い方は、人生における貴重な芸術だからだ。

 

楽曲に見る影響

 1815年といえば、瞑想的なチェロソナタ第4番 ハ長調 作品102-1、第5番 ニ長調 作品102-2が作曲された年です。

 万物は、純粋に澄みきって神より流れ出る。たとえたびたび悪への情熱に駆られて眼を曇らせても、私は、幾重にも悔恨と浄化を重ねて、至高なる純粋な源泉、神性へと立ちもどった。ーそして、御身の芸術へと。

 この文も同じころに書き記したもので、インド思想からインスピレーションを得て書いたベートーヴェン自身の叙述です。チェロソナタ第4番の第1楽章冒頭のチェロから始まる澄みきった旋律は、まさに神より流れ出たものなのです。つづくピアノの叡智(ブラフマン)の光に柔らかく照らされながら、自己(アートマン)が至高なる純粋の世界へ、チェロと共に戻っていくかのごとくです【譜例:チェロソナタ第4番第1楽章の冒頭】

 すべての快楽と欲望より解放されし者、それは万能の一者なり。それは唯一者なり。その者より偉大なる者はなし。「ブラーフマ(梵天)」、その霊はそれ自身の中に包含されたり。この者、万物の一者は、空間のいたるところに現前する。この者の全知は、自らに発し、その者の想念は全ての他者を「包括する」。

『リグ・ヴェーダ』からの引用です。

 ピアノソナタで見てみるとベートーヴェン自身が「新しい道」として切り開いた新境地の作品31の3曲や『ヴァルトシュタイン』作品53や、『熱情』作品57など、英雄的中期の様式。それら作品群とは明らかに異なる精神性を湛えた作品101からの後期の音楽。インド哲学との出会いがベートーヴェンに作用を及ぼしたと考えることはできないでしょうか。

「mit der innigsten Empfindung(内面的な感情をもって)」と冒頭に記された作品101の第1楽章【譜例:ピアノソナタ作品101第1楽章の冒頭】。深い瞑想的な動きから内面の自己がさまざまな空間、時間を経由して、最後に完全なる調和の世界へ昇華していくようです【譜例:ピアノソナタ作品101の終結部】。

『ハンマークラヴィーア』作品106の第4楽章冒頭の、純粋で静寂な響き。作品110の第3楽章の悲痛な叫び「Klagender Gesang(悲痛なうた)」【譜例:ピアノソナタ作品110第3楽章8小節目より】がフーガ(神の歌)に癒されるようにして、「L'istesso tempo della Fuga poi a poi di nuovo vivente(フーガのテンポで始まり、しかしそれからだんだん新しく生命力を帯びて)」「Nach und nach wieder auflebend(だんだん新たに生き返る)」「L'inversione della Fuga(逆フーガ)」「Die Umkehrung der Fuge(転回フーガ)」と記され【譜例:ピアノソナタ作品110第3楽章137小節目より】、ここから曲尾まで、まるで輪廻転生して、解脱していくようではありませんか。

 後期の弦楽四重奏が包含する「瞑想的」な世界。私たちはベートーヴェンのこのような作品から「何ものかの力(神)によって癒され、崇高な世界へと導かれる」ような感覚を体験します。

 日記は次の言葉で始まっています。

 服従、おまえの運命への心底からの服従、それのみがおまえに犠牲を ー 献身としての犠牲を負わせ得るのだ ー おお、厳しい戦い!(中略)おまえは自分のための人間であってはならぬ、ひたすら他者のためだけに。おまえにとって幸福は、おまえ自身の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ ー 。

 このような強い意志をもつ超人的なベートーヴェンだからこそ創作できた音楽であり、その支えとなったものの中に、インドの思想が含まれていることは確かでしょう。ベートーヴェンの言葉に導かれながら、自己の真我(アートマン)が宇宙の叡智(ブラフマン)とひとつになり、静寂で純粋な幸福を得る時間を共有できることは、人類の平和につながるものではないでしょうか。

 

・引用・参考書籍『ベートーヴェンの日記』

メイナード・ソロモン編 青木やよひ/久松重光訳 岩波書店