モーツァルト・ベートーヴェン 「管楽器とクラヴィーアのための五重奏曲」

演奏者:小倉貴久子(フォルテピアノ)、「アンサンブル・カライドスコープ」メンバー 三宮正満(オーボエ)、坂本 徹(クラリネット)、塚田 聡(ホルン)、岡本正之(ファゴット)

 

収録曲:

W.A.モーツァルト (1756〜1791) クラヴィーアとオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための五重奏曲 変ホ長調 K.452

L.v.ベートーヴェン (1770〜1827) クラヴィーアとオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための五重奏曲 変ホ長調 作品16

使用ピアノ:クリス・マーネ(ベルギー)1995年製作     

      アントン・ヴァルター(ウィーン)1795年製のレプリカ

録音:2000年8月16日〜18日 三鷹市芸術文化センター「風のホール」 発売:2001年10月

アーユス・レーベル GECB2085 2,625円(税込価格)

*在庫切れ

このディスクは讀賣新聞夕刊の「サウンズBOX〜クラシック〜」で紹介され、「レコード芸術誌」で「準推薦」、パイパーズ誌上で絶賛されました。

「最良の作品!」とモーツァルト自身が語ったK.452。それに倣った若きベートーヴェンの才気溢れる作品16。オリジナル楽器の名手たちによる色彩豊かなアンサンブル。

レコード芸術 2001年11月号

CD評 モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調K452

   ベートーヴェン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調作品16

[準]オリジナル管楽器とフォルテピアノによるアンサンブル、カライドスコープ(万華鏡)がその真骨頂である多彩な音色でバランスのとれた演奏を繰り広げる。まさに兄弟作品のようなモーツァルトとベートーヴェンのピアノと木管楽器のための五重奏曲は両曲のカップリングが定番となっており、これまでにも多くのアンサンブルが取り上げている。しかし、モダン楽器の場合には概してピアノが協奏曲風に突出することが多い。作品自体の構成は決して協奏風ではないのだが、響きのうえでモダン・ピアノはどうしても前面に出てきてしまう。それを承知のうえで管楽器奏者たちも頑張って思わぬ鬩ぎあいでアンサンブルをドラマティックに昂揚させようという演奏スタイルもないではない。しかし、このふたつの作品は決してそうした性格のものではない。数年前にロバート・レヴィンがフォルテピアノでイギリスのオリジナル管楽器奏者と組んだ演奏を収録し、これらの作品のイメージを一新した記憶があるが、今回の小倉貴久子とアンサンブル・カライドスコープの演奏はさらに新しい作品イメージをもたらしてくれた。例えば、従来これらは同じスタイルの作品という姿勢で演奏にアプローチし、そのなかでモーツァルトとベートーヴェンの個性の違いを表現しようという演奏が多かったように思う。ところが、どうやらこのアンサンブルと小倉はモーツァルト作品とベートーヴェン作品に全く別の姿勢で臨んでいるように思える。簡単にいってしまえば、モーツァルト作品ではピアノもふくめて五つの楽器があくまでも対等にアンサンブルを楽しみながら全体の響きで昂揚するという方針だ。それに対してベートーヴェンでは、どうもピアノの協奏曲風な突出を前提としているようだ。特に第一楽章でそれは明らかだ。もちろん、ピアノだけでなく各管楽器もこのピアノに拮抗するように自己主張する。そして第二楽章ではピアノは伴奏に後退し、甘美な叙情主題を歌うオーボエ独奏、次いでファゴット独奏、クラリネット独奏、さらに進んでホルン独奏等を主役に押し上げるという、楽章間のコントラストも明確にしている。全三楽章のの流れと大きな起伏や昂揚には、カンマー・シンフォニーの様相さえうかがえる。モーツァルト作品の穏やかな表現。ベートーヴェン作品のダイナミックでスケール大きな演奏による大胆な解釈上のコントラストが面白い。(平野 昭氏)

 

パイパーズ 2001年11月号

CD評 モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調K452

   ベートーヴェン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調作品16

我らがアイデンティティ

メモ このCDを居間で鳴らしていたら、家人が「どこの国の人たち?」と聞いてきたので、正解を教えたら凄く驚いていた。皮肉抜きに、彼らの演奏内容をよく物語る話だと思う。技術的には申し分なく巧く、それでいて我々の耳になじんだ欧州大陸系のピリオド楽器奏者とはどこかしら異なる(もちろんプラスの評価としての)テイストが感じられるのだ。西洋音楽の世界に、日本人が自分たちのアイデンティティを確立するプロセスに、ぼくらはこうして立ち会えるわけですね。

 個々の奏者の安定した技量もさることながら、2つの作品のスタイルを隙なく描き分けつつ、遊びの要素も残した演奏コンセプトは、絶賛に値しよう。各パートの色彩感がこれだけ鮮明に浮き立つK452も珍しい。アーノンクールがいみじくも語るとおり、すべての音符に雄弁なる対話のレトリックが宿されたモーツァルトの譜面を、これは的確に読みとき、そして語り抜いた結果の産物である。たいがいの演奏で鬼門となる第2楽章の推移句(管楽器が次々と応唱を交わす)の、なんとまあ収まりのよい歌い口!そしてベートーヴェンでは、野放図なまでのダイナミズムが、まるで作為性を伴わず耳に飛び込む。この作品16から、彼が後のシンフォニーで木管やホルンに託した類の語彙が聴こえてくるのだ。優雅な立居振舞と豪放磊落な表情を兼ね備えた終楽章のロンドを、まあ、だまされたと思って耳にしてみてください。