【雑誌《モーストリー・クラシック》2024年3月号】寄稿文
〔ショパンとベートーヴェン 豊穣のピアノ世界〕から
ピリオド楽器 フォルテピアノ演奏の世界
ベートーヴェンやショパンの弾いた音を求めて
執筆:小倉貴久子
モノクロ・イメージから転換
ピアニストを夢見て私が東京藝術大学ピアノ科に入学した1986年は、偶然にも藝大にチェンバロ科が開設された年でした。しかし、シューマンにはまっていたその頃の私にとって、チェンバロは「古楽という別分野の鍵盤楽器」という認識でした。現代のピアノでJ.S.バッハを演奏することに何の疑問も抱いておらず、今このようなフォルテピアノ演奏を中心に活動をしていることなど想像もできない、ごく普通のピアノ科の学生でした。当時、フォルテピアノは、楽器そのものが日本にはほとんどなく、体験することもその存在自体について考えを巡らすこともない、そんな状況でした。私にとってもフォルテピアノは、現代のピアノより表現力の狭いモノクロのイメージしかありませんでした。
そんな私が、目から鱗が落ちるような衝撃的な体験をしたのは、現代ピアノでの留学先のオランダでのことでした。その頃のオランダはレオンハルト、ビルスマ、ブリュッヘン、クイケン兄弟など、ピリオド奏法のパイオニアたちが毎週のように小さな教会などで演奏を繰り広げていました。音楽家の息遣いや汗までも飛んできそうな至近距離でのライブ演奏は、それまで博物館の中にいた「古楽」という囲いの中から、息を吹き返した未知なる生物が飛び出してきたかのように、私の身体中に今まで知らなかった新しい世界をビンビンと伝えてきたのです。「これは一体何が起こっているのだろう?」、「この世界こそが音楽そのものだ!」という強烈な衝動が、私をピリオド楽器演奏の世界へと導いてくれました。
画一的ではない価値観
しかし、「当時の楽器で演奏する」それだけでは、音楽は息を吹き返しません。現代的価値観を離れずに現代ピアノと同じようなタッチや奏法、思考でフォルテピアノを演奏すれば、その昔に私が思っていたような表現力の不十分な楽器としか感じられないことでしょう。「当時の演奏法」とひとことに言っても、時代や国によって価値観が全く異なることもあります。フォルテピアノ製作者たちが、どんな音響を求めて製作したのか、作曲家たちはその楽器からどんなイメージを膨らませて作曲したのか。年代、地域によってさまざまなのです。モーツァルトが生きた時代ひとつとっても、ウィーン、ベルリン、パリ、ロンドンでは演奏法や音楽に対する価値観が異なっていました。
当時の作品に対峙するとき、原典楽譜や残された資料や楽器などを手掛かりにして、推理小説を読み解くように作品の解釈を展開するのが「ピリオド演奏」のスタイルです。楽器はその中でも証拠品としてとても重要な役割を担います。演奏するということは、もちろんそこには私たち演奏者の個性、音楽性や技術が介在します。さまざまな要因によってバラエティ溢れる演奏が生まれることにより、「ピリオド演奏」の畑が耕されて、豊かで実りのあるさまざまな種類の果実が楽しめるのです。おそらく今、世界で「ピリオド演奏」に注目が集まり、無視できない存在となってきているのは、そんな豊潤な演奏や録音が数多く行われてきているからでしょう。
「不均等な音」の排除
19世紀まで脈々と続いてきた演奏スタイルは、1914年に勃発した第一次世界大戦をきっかけに大きな分断が起こりました。それまで、各国はそれぞれの文化芸術に誇りをもって独自の表現スタイルや音色を大切に守ってきていたのですが、第一次世界大戦後、世界はグローバル化への道を歩み始めます。国によって個性豊かだったオーケストラの響きも、画一化していき、さまざまな特色をもっていた各国の楽器たちも統一化され、均質化の方向へと世の中の価値観が変化します。ピアノ製作の現場でも、個性よりもオールマイティな「良い音」を目指す方向へと舵が切られます。音楽芸術には不安定で即興的な要素が不可欠であったのに、いつ誰が演奏しても一定の品質が保たれる、といったような安定志向が求められるようになったため、音楽そのものが変化してしまいました。
20世紀後半以降、ピアノ教育の現場で、「粒を揃える」という言葉がよく聞かれるようになります。これは18世紀音楽のエスプリである「ノート・イネガール(不均等な音たち)奏法」と真逆の「ノート・エガール(均等な音たち)奏法」で、19世紀に入っても多かれ少なかれ残っていた「音楽の揺れ」を排除することへと繋がってしまいました。