2023年2月ニューリリース

nuovo vivente

ベートーヴェン:クラヴィーア・ソナタ 作品109, 110, 111

フォルテピアノ:小倉貴久子

 

収録曲:

L.v.ベートーヴェン:

クラヴィーア・ソナタ ホ長調 作品109(第30番)

クラヴィーア・ソナタ 変イ長調 作品110(第31番)

クラヴィーア・ソナタ ハ短調 作品111(第32番)

使用フォルテピアノ:J.B.シュトライヒャー(ウィーン 1845年)

[録音]2022年3月 邑の森ホール [発売]2023年2月

[ブックレット]巻頭言:平野 昭、プログラムノート:小倉貴久子、ベートーヴェンとシュトライヒャー:筒井はる香、Booklet in English enclosed 全22ページ

ALM Records ALCD-1216 3,300円(税込価格)

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CD:nuovo vivente

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このディスクは、レコード芸術〈特選盤〉、音楽現代〈推薦盤〉。池田卓夫「クラシックディスク・今月の3点」、ぶらあぼCD評〈New Release Selection〉と〈インタビュー〉で紹介されました。読売新聞3月唯一の〈特選盤〉に選ばれました。

小倉貴久子の演奏するソナタに筆者は深い感動と同時に啓示とも言えるような、今まで見たことのない音楽の姿を観た。誤解を恐れず簡潔に言えば、ベートーヴェンの孤高様式はソナタとファンタジーの融合であったということだ。ベートーヴェンが希求し到達したアルカディアへの、小倉自身の愛に満ちた深い共感と憧憬を聴くことができる。

平野 昭(音楽学者)

ぶらあぼ〈New Release Selection〉の記事

池田卓夫「クラシックディスク・今月の3点」の記事

ぶらあぼインタビュー:最後の3つのソナタには天空の星=神の煌めきがあります

 

しなやかに明るく【特選】(読売新聞3月唯一の特選盤に選ばれました)

 これら後期の作品でよく見かけるような老生した分別は、小倉貴久子のフォルテピアノにはない。むしろすみずみまでしなやかな弾力に富み、明るく輝くような生命力に溢れている。音色のパレットも多く、自由なひらめきにも彩られている。

 雷鳴のように音が降ってきたり、音が揺らいで滲むような響きが現れたり、一瞬たりとも飽きさせない。旋律を小さく口ずさむように浮かびあがらせたところでは、余計なものを削ぎ落としたからこその静謐な美も。聴けば聴くほどこの楽器のもつ不自由さや脆さが愛おしく感じられ、えも言われぬ多幸感に包まれる(ALM)(2023年3月31日 読売新聞夕刊 Evening Entertainment REVIEW 松平あかね氏(音楽評論家)の評)

 

〈推薦〉小倉貴久子がベートーヴェンの第27番から第29番の3つのソナタに続いて、最後の3曲のソナタをリリースした。今回の楽器も前作と同様、1845年製のヨハン・バプティスト・シュトライヒャー。ベートーヴェンと交流のあったナネッテの息子で後継者。ベートーヴェンも製作家として期待をかけていた人で後年ブラームスとも親交があった。音域は6オクターヴと5度(C1〜g1)。音域の拡大と音量強化のために2本の鉄柱が入っているが、ウィーン式アクションで平行弦。いつものように小倉は第30番から集中度と燃焼度の高い演奏を聴かせている。作曲家が亡くなって18年後の楽器だが、第2楽章は革を巻いたハンマーのきりっと引き締まったパンチのある打弦が痛烈。同時に第3楽章の主題のカンタービレは木の温もりを感じさせる音色でよく歌い、その後の変化に富んだ変奏の一つ一つが明快に奏でられる。第31番の第1楽章も然り。甘い主題から始まるが、自然で論理的な音楽の流れとともに楽想の性格がはっきりと示される。第2楽章は重厚で気魄の籠ったフォルテと弱音との対比。細かなパッセージの枯れた味わい。静かな変ニ長調の中間部が印象的。終楽章も「嘆きの歌」とフーガがすばらしい。第32番、序奏の凄まじいエネルギーと不協和音、主部の熱を帯びた第1主題と長調の第2主題の対比。息もつかせぬ強烈なパッセージ・ワーク、主題と変奏の終楽章も見事の一言に尽きる。これも今月の筆者のベスト3の一つ。(那須田務氏)

〈推薦〉東京藝大からアムステルダム音楽院に留学し優秀な成績を収め現在活躍中の小倉のフォルテピアノによるベートーヴェンの後期3大ソナタである。ここで使用されているフォルテピアノはシュトライヒャーが1845年に製作したウィーン式の楽器で構造上比較的クリアな音質が維持されている。ベートーヴェンも生前シュトライヒャーのフォルテピアノを気に入っていたという。演奏は第30番から始まるが、確かに和声の響きの中から浮き上がる高音域の線的美しさが感じられ、さらに高音域に入ると別世界の響きのように漂っている。フォルテピアノは聴いた瞬間は古色蒼然とした印象を与えるが、時間をかけてじっくり聴き込むと現代ピアノでは表現し得ない異次元の表現力がある。このベートーヴェンの最後の3曲はその意味においてフォルテピアノのみに用意された表現世界への入り口があるようである。ここで小倉はフォルテピアノを過去を回想するための楽器としてではなく、現代ピアノとはまた別の独立した表現楽器として積極的にこの3曲と対峙している。第30番や第31番などはベートーヴェンが古典スタイルから新たな方向へ向かう橋渡し的な曲ではあるが、ここで小倉はロマンティックな甘い情感などには振り向かずにあくまでフォルテピアノの凛とした美しさを代弁する曲として演奏にあたっている。第32番はその意味で実に直截で力強く、ときには鮮烈に激しく対応している。まさにリアルなベートーヴェン像をこの楽器から生み出している。(草野次郎氏)

[録音評]1845年製(シュトライヒャー)のウィーン式フォルテピアノが持つ音色とキャラクターを、的確に伝える1枚。平行弦は鹿革のハンマーによる明瞭な音色と打鍵をヌケよく捕捉し、独特の温かみや柔らかさまで、しっかり同居させている。直接音と間接音の配分も適切に配慮され、演奏ノイズを目立たせず、楽音が放たれる空間の広がりをイメージさせる〈92〉(宮下 博氏)

【特選盤】レコード芸術2023年4月号新譜月評「器楽曲」より

 

〈推薦〉この3曲に共通して根底をなしているのは、奏者のテンペラメントによる奔流である。機能的に現代のピアノの表現できる幅に及ばないフォルテピアノをとおしてそれでも響いてくるのは、ほとばしるような心象の表出と、そこに漂う豊かな幻想性である。しばしば古楽器演奏に見られる学究的な側面が前面に打ち出されることはなく、ここに聴かれるのはロマン派の先鞭をつける主情的なベートーヴェン像である。晩年の作であるからといって、なにも無常感に傾斜する必要もなく、また次世代につながる創意がこれらの作品に認められることに鑑みた時、その後者をピアノ以上に熱気を孕んで音化した、本来的で意志的な演奏の登場を素直に喜びたい(音楽現代2023年4月号 木村貴紀氏の評)

 

 ここで使われているピアノは収められている曲よりも少し後に製作された楽器で、作曲者自身も同じ作者の楽器を使っていたと言われるもの。現代のピアノより幾分硬めの音色であるが、その表現力はとても豊かで、録音もそれを的確に捉えている。ハイドンやモーツァルトの時代の楽器より全体に太くダイナミックで、現代に近づいているが、それでも19世紀のウィーンの雰囲気は感じられる、と評される。録音は群馬県の邑楽町にある中規模ホール「邑の森ホール」で、響きは少なめにとられているがドライではなく、無理のない音色が会場に広がる。総合評価93点(stereo 2023年5月号 峰尾昌男氏の評)